今月のコラム
私たちは人生において様々なステージを経験しますが、個人がそのステージを移るときに経験する決まった形の試練や行為を、人類学では儀礼として考えてきました。その儀礼は様々な社会変化の中で、今日では衰退したり簡略化したりしていますが、妊娠から出産、育児に至る時期にも、様々な儀礼が行われていました。そして今でも妊娠から出産、育児に至る様々な経験を考え、理解するうえで、様々なヒントを与えてくれます。そして、その儀礼を通じて、妊娠・出産をサポートする活動も行われています。
写真は本研究班のメンバーである松﨑政代さん(東京科学大学)が参加し活動している「助産師Obiの会」の皆さんと、活動風景の写真です。
写真は本研究班のメンバーである松﨑政代さん(東京科学大学)が参加し活動している「助産師Obiの会」の皆さんと、活動風景の写真です。

中本 剛二
専門:文化人類学
大阪樟蔭女子大学准教授
大阪大学特任准教授
#003
2025.09.03
儀礼としての出産

私の専門の文化人類学や民俗学では、出産を儀礼(rites)、なかでも通過儀礼の一種としてとらえます。通過儀礼とは、人の人生において地位や状態に重要な変化があるときに、それぞれの社会や集団で決まった行為や手続きが行われて、個人を以前の地位や状態から新しいそれに移行させ、そしてそれを社会の側が承認するものです。出産の場合、子をこの世に迎える儀礼であり、また一人の女性が母親になる儀礼、ということができます。そのようなわけで多重に意味があり、とても複雑です。
細かく見ると、出産をめぐる一連の過程の中にも、妊娠期から出産後まで、様々な儀礼が行われてきたことがわかります。妊娠期には、周囲の人とともに5か月目の戌の日に腹帯(岩田帯とも呼ばれます)を締めて安産を祈願しました。また、地域によっては、産屋と呼ばれる出産のための小屋にこもり出産して、一定の期間そこで過ごし、21日で床上げ、その後産屋あけ(31日が多いようですが、地域によって30日から50日くらいと差があるようです)になると自宅に戻り過ごしていたといいます(このように一定期間、こもるということをするのも儀礼の過程でよく見られることです)。そして出産後には7日目に「お七夜」として命名の儀礼を行い、産屋明けの大体1か月のころに氏神様にお宮参りをしていました(これは今でも多くの方が経験しているのではないでしょうか)。
現在、共同体の在り方や関係性が近代化の中で変質し( 第2回コラム 参照)、またほとんどの人が病院出産をする中で、産育にまつわる多くの儀礼が衰退する一方、七五三のように商業化し、現代のイベントとして盛んになっているものもあります。
ところで、通過儀礼の最中には、その渦中にある人に様々な試練が課せられます。わかりやすいもので言えば、バンジージャンプのもとになったといわれる、南太平洋・現在のヴァヌアツ共和国でおこなわれていた成人儀礼「ナゴール」でしょうか。ナゴールでは、高く組んだ櫓の上から、足に植物の蔦をまいた若者が飛び降ります。また、伝統的な社会で治療師*1が治療師になるときの通過儀礼でも、大病や危機を経験して生死の境をさまよう体験(文化人類学では巫病と呼ばれます)をするといいます。それらは治療師になるための試練と考えられ、それを克服して一人前の治療師として認められるといわれます。
妊娠から出産、そして子育ての時期に多くの儀礼が準備されていること、そして一連の過程そのものを儀礼としてとらえてきたことには、大きな意味があるように思います。それらの過程を経て妊娠し、そして親になることを体感、実感すること、またさまざまな経験に型が与えられ、かつ生活の形を整えていくことができるという点もあると思います。そして妊娠から出産、そして子育てには、特にお母さんににとっては試練といえることが数多くあります。妊娠期のつわりをはじめとする、様々な体調や感覚の変化、出産までの陣痛、出産後しばらく続く数時間おきの授乳など、数えればきりがありません。もう少し大きくなってからも、お子さんを連れての外出は、慣れないうちは困難の連続かもしれません。
それぞれの経験がどれくらい大変か、ということは、人によってそれぞれ異なると思います。苦労が軽いに越したことはないと思うのですが、とても大変な経験をされたというお話を、座談会やインタビューでお伺いすることがあります。例えば、妊娠中のある時期につわりなどで体調変化がひどく、入院して治療を受けつつ経過を見ていたという方は、その時期にあまりにつらいので妊娠をあきらめることもふと頭をよぎったといいます。またそのような考えがふと頭をよぎったこと自体について、自分に母親として資格があるのか、ということをとても気にされていました。
儀礼の過程では、様々な試練が課せられるといいましたが、その中には当事者が生命の危険を感じるような場合もあります。そのような場合、それはおそらくこれまで経験したことのない苦痛であり、自分の命にかかわることなので、様々なことを考えるのは当然だと思います。そのうえで、儀礼という枠組みの中で大切なことは、一つは当事者がそのような困難を経たうえで、それを克服し新たなステージに達したということ(妊娠、出産の場合は、それらを克服して親になったということ)だと思います。そしてもう一つはそのような経験がその後のステージで、決して無駄ではなく、必要なことと考えられていることだと思います。さらに言うならば、その苦しみを経験したからこそ、その後同様の苦しみを経験した人、将来経験する人を理解したり、手を差し伸べることができる、ということも大切なのではないでしょうか。同様な苦難を経験する人は今も、そして今後も必ずいるのですから。
伝統的な治療者が現代医療の治療者とが異なるのはこの点だといわれています。いわゆる伝統的な治療師が生きるか死ぬかの経験をして治療者になることを先にのべました。このような経験をした治療者のことを「傷ついた癒し手」(wounded healer)といいます。自らが痛みを感じ、生死の境をさまよう様な経験をしたからこそ、他者の痛みや病気を理解し、そしていやすことができる、という考えです。難しい病気やそれに伴う困難に直面した時、現代医療の専門職の、エビデンスに基づく治療やケアの提供が、今日必須であるのは当然ですが、それとともに、個人の経験にフォーカスし、それを理解する枠組みも何らかの形で求められていることを様々な場面で痛感します。様々な困難に直面した人が、当事者同士で経験を共有する中で力を得るピア・カウンセリングの意味も、このような点につながっているのだと思います。
話は少しそれますが、本研究班のメンバーも、臨床や教育だけではなく様々な場面で妊娠・出産を支える活動をしています。助産師であり、大学教員であるメンバーの松﨑政代さん(東京科学大学・リプロダクティブヘルス看護学)は、東京・水天宮で、本日のテーマである儀礼の一つ、妊娠5か月に腹帯をまく体験をお手伝いする活動を 「助産師Obiの会」 で継続して行っています。興味のある方は、まずはfacebookをのぞいてみてください。今日の話に関連させると、産婆さんの流れを汲み*2、儀礼を大切にしているという意味でも、このような活動をしている助産師さんたちはwounded healerの素質を強くもっていると思うのですが、私の思い込みでしょうか。
*1:厳密には治療者と、シャーマンなどの宗教者はかねている場合と、別々の場合がありますが、ここではまとめて治療者としておきます。
*2:とはいうものの、産婆さんから現在の助産師さんに至る歴史的な過程には複雑なものがあります。また機会があれば記すことができればと思います。
細かく見ると、出産をめぐる一連の過程の中にも、妊娠期から出産後まで、様々な儀礼が行われてきたことがわかります。妊娠期には、周囲の人とともに5か月目の戌の日に腹帯(岩田帯とも呼ばれます)を締めて安産を祈願しました。また、地域によっては、産屋と呼ばれる出産のための小屋にこもり出産して、一定の期間そこで過ごし、21日で床上げ、その後産屋あけ(31日が多いようですが、地域によって30日から50日くらいと差があるようです)になると自宅に戻り過ごしていたといいます(このように一定期間、こもるということをするのも儀礼の過程でよく見られることです)。そして出産後には7日目に「お七夜」として命名の儀礼を行い、産屋明けの大体1か月のころに氏神様にお宮参りをしていました(これは今でも多くの方が経験しているのではないでしょうか)。
現在、共同体の在り方や関係性が近代化の中で変質し( 第2回コラム 参照)、またほとんどの人が病院出産をする中で、産育にまつわる多くの儀礼が衰退する一方、七五三のように商業化し、現代のイベントとして盛んになっているものもあります。
ところで、通過儀礼の最中には、その渦中にある人に様々な試練が課せられます。わかりやすいもので言えば、バンジージャンプのもとになったといわれる、南太平洋・現在のヴァヌアツ共和国でおこなわれていた成人儀礼「ナゴール」でしょうか。ナゴールでは、高く組んだ櫓の上から、足に植物の蔦をまいた若者が飛び降ります。また、伝統的な社会で治療師*1が治療師になるときの通過儀礼でも、大病や危機を経験して生死の境をさまよう体験(文化人類学では巫病と呼ばれます)をするといいます。それらは治療師になるための試練と考えられ、それを克服して一人前の治療師として認められるといわれます。
妊娠から出産、そして子育ての時期に多くの儀礼が準備されていること、そして一連の過程そのものを儀礼としてとらえてきたことには、大きな意味があるように思います。それらの過程を経て妊娠し、そして親になることを体感、実感すること、またさまざまな経験に型が与えられ、かつ生活の形を整えていくことができるという点もあると思います。そして妊娠から出産、そして子育てには、特にお母さんににとっては試練といえることが数多くあります。妊娠期のつわりをはじめとする、様々な体調や感覚の変化、出産までの陣痛、出産後しばらく続く数時間おきの授乳など、数えればきりがありません。もう少し大きくなってからも、お子さんを連れての外出は、慣れないうちは困難の連続かもしれません。
それぞれの経験がどれくらい大変か、ということは、人によってそれぞれ異なると思います。苦労が軽いに越したことはないと思うのですが、とても大変な経験をされたというお話を、座談会やインタビューでお伺いすることがあります。例えば、妊娠中のある時期につわりなどで体調変化がひどく、入院して治療を受けつつ経過を見ていたという方は、その時期にあまりにつらいので妊娠をあきらめることもふと頭をよぎったといいます。またそのような考えがふと頭をよぎったこと自体について、自分に母親として資格があるのか、ということをとても気にされていました。
儀礼の過程では、様々な試練が課せられるといいましたが、その中には当事者が生命の危険を感じるような場合もあります。そのような場合、それはおそらくこれまで経験したことのない苦痛であり、自分の命にかかわることなので、様々なことを考えるのは当然だと思います。そのうえで、儀礼という枠組みの中で大切なことは、一つは当事者がそのような困難を経たうえで、それを克服し新たなステージに達したということ(妊娠、出産の場合は、それらを克服して親になったということ)だと思います。そしてもう一つはそのような経験がその後のステージで、決して無駄ではなく、必要なことと考えられていることだと思います。さらに言うならば、その苦しみを経験したからこそ、その後同様の苦しみを経験した人、将来経験する人を理解したり、手を差し伸べることができる、ということも大切なのではないでしょうか。同様な苦難を経験する人は今も、そして今後も必ずいるのですから。
伝統的な治療者が現代医療の治療者とが異なるのはこの点だといわれています。いわゆる伝統的な治療師が生きるか死ぬかの経験をして治療者になることを先にのべました。このような経験をした治療者のことを「傷ついた癒し手」(wounded healer)といいます。自らが痛みを感じ、生死の境をさまよう様な経験をしたからこそ、他者の痛みや病気を理解し、そしていやすことができる、という考えです。難しい病気やそれに伴う困難に直面した時、現代医療の専門職の、エビデンスに基づく治療やケアの提供が、今日必須であるのは当然ですが、それとともに、個人の経験にフォーカスし、それを理解する枠組みも何らかの形で求められていることを様々な場面で痛感します。様々な困難に直面した人が、当事者同士で経験を共有する中で力を得るピア・カウンセリングの意味も、このような点につながっているのだと思います。
話は少しそれますが、本研究班のメンバーも、臨床や教育だけではなく様々な場面で妊娠・出産を支える活動をしています。助産師であり、大学教員であるメンバーの松﨑政代さん(東京科学大学・リプロダクティブヘルス看護学)は、東京・水天宮で、本日のテーマである儀礼の一つ、妊娠5か月に腹帯をまく体験をお手伝いする活動を 「助産師Obiの会」 で継続して行っています。興味のある方は、まずはfacebookをのぞいてみてください。今日の話に関連させると、産婆さんの流れを汲み*2、儀礼を大切にしているという意味でも、このような活動をしている助産師さんたちはwounded healerの素質を強くもっていると思うのですが、私の思い込みでしょうか。
*1:厳密には治療者と、シャーマンなどの宗教者はかねている場合と、別々の場合がありますが、ここではまとめて治療者としておきます。
*2:とはいうものの、産婆さんから現在の助産師さんに至る歴史的な過程には複雑なものがあります。また機会があれば記すことができればと思います。